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仏事のQ&A

寺報季刊誌茉莉花


ローソクや灯篭など、お仏壇のお灯明はなぜともすのですか?(茉莉花vol.15)

光が闇を照らし出すように、お灯明はみ仏の知恵と慈悲の光をたたえるものだといわれます。

私たちは、自らの醜い煩悩によって真実の光を見ることができず、自分の眼が閉ざされていることすら気付くことができません。ですから、周囲を明るく照らす火の光は、心の奥底までも知りつくし、どろどろとした迷いの闇をくまなく照らして真実に向かわしめる知恵の光明なのです。また、火の熱は如来さまの慈悲を表わし、お慈悲のぬくもりが私たちの固く閉ざした心を解きほぐしてくださいます。

「のし」のついた袋は仏事に使用してもよいのでしょうか。(茉莉花vol.16)

一番たいせつなのは、お供えをされるあなたの気持ちではないでしょうか。

のし(熨斗)とは、色紙を上が広く細長い六角形に折り、細く切ったのし鮑をはりつけたものです。
のし鮑は、お祝いの儀式用のさかなで、後に伸展・延長の意(のす・のばすが語源)をもたし、進物の装飾に転用されるようになったといわれています。
それゆえ、仏事では慶讃法要・入仏式などのお祝いにも使いませんが、一番たいせつなのは、お供えをされるあなたの気持ちではないでしょうか。

「今日はお彼岸だから墓参りしよう」「中日だから仏様にお供えをしよう」と秋分の日に
母がよく言いますが、なぜですか?(茉莉花vol.5)

先祖をうやまい、故人をしのぶ日だからです。

お彼岸とは、日本独自の仏事である「彼岸会」のことで、春彼岸は3月21日頃の春分をはさんで7日間、秋彼岸は9月23日頃の秋分をはさんで7日間のことをいいます。
昭和23年「国民の祝日に関する法律」によって春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とし、秋分の日は「先祖をうやまい、亡くなった人をしのぶ日」として祝日に制定されました。今では、日曜日と重なったり続いたりすると、連休できるわけです。 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」というように、彼岸の頃は、季節の境目に当たり、彼岸の「中日」、つまり春分・秋分の日は「昼夜平分」といい、昼の時間と夜の時間が等しくなります。
この日は、太陽が真実が真東から昇り、真西に沈む日でもあり、夕刻の日没の方向に西方極楽浄土を思い描く人もあるようです。 今日、浄土真宗の各寺院では、春と秋に「彼岸会」の法要を営み、門信徒は仏壇にお供え物をし、墓参りや寺参りをするのが習わしになっています。
今年の9月は敬老の日の連休と秋分の日の連休があります。楽しむことに夢中になるばかりでなく、自分が「生きている」ことの意味を考えてみるような、意義深い月にしたいものです。

亡くなったおばあちゃんが毎日朝夕、お仏壇の前で手を合わせていました。
「合掌」とはどういう意味をもっているのでしょう?(茉莉花vol.3)

仏さまと私たちが一つになれる世界を開くためです。

合掌は、もともとインドで古くから行われている礼法の一つです。数多くある礼法のなかで、合掌だけが仏教と結びつき、何千年も伝えられてきました。それは、合掌するということが、ただ手を合わせるというだけのことのようで、実は人間の精神状態と奥深く関わっているからです。
インドの古い歌に「右ほとけ左われぞと合わす手の なかにゆかしき南無の一声」というのがあります。インドでは右手は食べ物などを扱う清浄な手、左手は汚れたものを扱う不浄の手と考えられていることから、右手は神聖なもの、つまり仏を表し、左手は醜いもの、つまりわれわれ凡夫を表しているといわれています。人を愛する心がある一方、人を憎む心も持っているのが、人間の本来の姿であるといっているわけです。
そういった二つの心を持つ私たちは、南無阿弥陀仏と称えることで、心から仏さまと私たちが一つになれる世界が開かれてくるのです。きっとあなたのおばあさんは、合掌することで、素直に心の底から生きていることを喜び、仏さまを身近に感じられていたのだと思います。

念珠はなぜ持たなければならないのでしょうか。また、どう扱えばよいのでしょうか。
(茉莉花vol.14)

礼拝のときの経文の数を数えたり、自分の心中の煩悩へのいましめとしたものといわれています。

念珠(数珠)は、その昔、木の実などを糸に通して手に持ち、礼拝のときの経文の数を数えたり、自分の心中の煩悩へのいましめとしたものといわれています。ですから念珠の玉の数は煩悩の数といわれる百八つ、またその分数となっています。念珠のかけ方は、合掌のときは房を下にして両手にかけ、親指で軽く押さえます。合掌しないときは左手に持ちます。また念珠は大切な法具ですから投げたり、畳の上に直接置いたり、持ったまま不浄な場所にいくことはやめましょう。

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